④スマイル
見る人が見れば奇妙に映ったことだろう。
三十人近い学生たちが互いを讃えて沸き立つ中で、僕だけがどこか澄ました顔をしていたからだ。
我がサークルのバンドは一年毎と決まっている。
つまり、今年最後にあたる今夜のライブの終わりは、そのまま全てのバンドの解散を意味していた。
これで引退や脱退をする者もいる。
一年近く苦楽を共にしてきた以上、皆がこのように感極まるのも当然といえば当然であった。
僕は少し前から、自分のバンドパフォーマンスに限界を感じていた。
そして、己が本物のエンターテイナーであるならば、己の最高が出せなくなる前に舞台から去るべきであると考えていた。
そして、今夜、最後と決めたライブを無事にやり切ったことで僕が感じたものは大きな解放感だった。
この解放感と皆が感じている感動を同じくすることは裏切りに近いと考えていたことから、僕は無意識の内に澄まし顔をしていたのだと思う。
僕の目の前には、同じバンドのメンバーが揃っていた。
かつて一目惚れした先輩の女子、何かとぶつかった先輩の女子、途中参加ながら仲良くなった同輩の男子。
それぞれプレゼント交換をしたのち、互いにハグし合った。
一目惚れした先輩とのハグは、やっぱり少し気恥ずかしくて、僕が慌てたせいで先輩に頭を少しぶつけてしまう。
全ての発端ともいえる先輩と今現在このような顛末を迎えていることに、何とも不思議な感覚を覚えた。
同輩の男子はハグする前から大泣きしていて、何かとぶつかった先輩の女子から「半年しかやっていない△△が泣いて何でお前が泣かないんだよ」と冗談めかして言われる。
見れば僕以外の全員が泣いていた。
「いや、俺もめっちゃ泣きそうですよ」と答えつつも、涙は少しも出て来ない。
咄嗟に、中高時代のいじめをキッカケとした思考と感情の制御能力が原因であると推察しても、僕の心は違うことを知っている。
内なる不安を制御しつつ、先輩を見返すと先輩は優しい顔をしていて「○○のおかげで楽しいバンドを組めたよ」と言ってきた。
その後の一連の衝撃を僕は制御し切れない。
先輩らしからぬ優しい顔と言葉に一瞬にして好きになりかけ、そんな自分に驚いて固まり、固まりがほぐれると同時に心もほぐれ、そこから一気に血が巡るようにしてバンドメンバーと過ごした日々や愛しさがこみ上げてきて思わず笑顔になる。
そこで初めて、自分がどこか澄まし顔をしていたことに気がついた。
結局、僕はいつだって難しく考え過ぎているだけなのかもしれない。
皆、それぞれ異なる想いを抱えていて、始めから僕もそこにいた。
そして、僕はずっと皆と感激を分かち合うようなことがしたかった。
ならば、まずはここから始めればいい。
今、僕は確かに皆と同じ輪の中にいるのだから。
見る人が見ても、もう僕を見つけられないだろう。
そんなモノローグを、僕はすぐに忘れた。〈終〉
③メイク
普通、人は大学デビューというものにどこまで懸けているものなのだろうか。
少なくとも僕の場合は、己の全てを懸けていた。そう断言できる。
中高浪人時代に溜まった鬱憤と大学時代への情熱から生まれた〝それ〟は、変身願望というより破壊衝動に近かったように思う。
入学前は、少しでもイメージが膨らむよう大学生活を描いた作品を読み漁り、少しでも積極的となれるよう視力矯正手術によって眼鏡とコンタクトを卒業した。
いざ入学してからは、キッカケを掴むと、面白い奴や凄い奴と思われる為なら何でもするようになった。
ライブで暴れ回るのはもちろん、全ての会話をお笑いライブと見立てて向き合い、小説の構想以外は人を面白がらせる方法を熟考し、
僕というキャラクターを浸透させる為に同じフレーズの使用やトレードマークとなる持ち物や服装を徹底した。
気づけば、僕は学内ですっかり有名人となっていて、校内を少し歩けば知り合いに出会い、知り合いでない人も僕を知っていた。
そして、一年にしてサークル宣伝用の大看板が自分の顔と決め台詞の一点物と決まった時、遂に自分の努力が形となったようで大きな達成感を感じた。
会う人、会う人が、僕の事を面白い人や凄い人と言ってくれる。
だから、僕は完全に有頂天になっていたように思う。
そんなある時、よく知らない女の子と卓球している最中に「私、今まで○○さんほど面白い人に出会ったことないです」と言われた瞬間、
自分の中に〝つまらない人〟と思われる事への強い恐れがあることに気がついた。
確かに人を面白がらせる事はこの上なく楽しい。
だが、結局は昔の孤独と鬱憤が生んだ陳腐な承認欲求だとしたら?
ヒーローに変身したつもりが、実はマスクとマントを付けただけのコスプレ男に過ぎなかったとしたら?
いつからか、僕の中には本物のエンターテイナーが住んでいる。そう信じ始めていた。
でも、もし、例えそれが大きな間違いであったとしても、今さら引くわけにはいかない。
訝しげにこちらを見ていた女の子に作り笑顔を一つ返すと、僕は再びサーブの構えを取った。
何がどうであろうとも皆が信じる僕を演じ切ること、それこそが本物のエンターテイナーの証であることを願って、僕はボールを高く放り投げる。〈④へ続く〉
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②モノローグ
気づくと僕は世界の全てを記述していた。
と言うと大袈裟だが、ある時から僕はあらゆる出来事を「小説的なモノローグ」として脳内変換できるようになっていた。
これは、本をたくさん読むことで脳内で自然と小説的なモノローグが流れると気づいてから、あらゆる出来事をモノローグ化し続けたことによる努力の賜物である。
小説家志望として文芸学科に入ってきた僕はこの「能力」が小説家への強い決意の現われのようで誇らしかったし、何が起きても感情の前に〝モノローグ〟できる自信があった。
これにはある悲しい理由も関わってくるのだが、今回はその話はやめておく。
とにかく世界の全てが、僕の小説への糧となっていた。
大学に入学してからの日々は、全力で打ち込むほどに目まぐるしく過ぎ去っていく。
気づけば、文化祭実行委員会に入り、気づけば、バンドサークルの先輩に一目惚れし、気づけば、その先輩と同じバンドでボーカル&パフォーマーとして狂気と勢いを武器に暴れまくる毎日だった。
そんな日常の果てに、気づくと僕はバンドサークルの夏合宿に来ていて、ロビーのソファで夢うつつとなっていた。
ロビーではリラクゼーション用BGMが流れ、ソファの下からは地下スタジオのギターとドラムが漏れ聞こえてくる。
うるさい、眠れやしない、それにこれではせっかくのBGMが台無しだ。
その時感じた衝撃を僕以外の誰に伝わるだろうか。
〝静かすぎる〟
僕の脳内で半ば自動変換されていたモノローグがぱったりと止んでしまっていた。
考えてみれば当然である。毎日が新しい体験、新しい感情。
頭でっかちなモノローグはいつしか飽和状態となっていたのだ。
そして、僕はその事にも気づけないでいた。
僕は現実に、いや自分の心に深い敗北感を覚えた。
同時に、その敗北感を心地よいと思っている自分を見つけた。
僕は今、青春を生きている。
心でみみっちいモノローグなどしている場合ではない。
今を生きて今を味わうべきなのだ。
小説家を決意した時を思い出す。
物語的に生きるのか、物語を書いて生きるのか。
その問いに今の僕はどう答える?
「誰もが役者、人生は舞台なのだ」という耳慣れた言葉が、僕の心をゆっくりと流れ過ぎていった。〈③へ続く〉
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①イヤリング
大学最初の体育の授業、内容は卓球。履修の理由は卓球経験。
恥をかかずに済むからだ。
クールなキャラを意識して片耳にイヤリングをし、澄まし顔を作り、空いた時間は黙々と壁打ちをしていた。
ところが、卓球とは意外と会話がしやすいもの。
特に初対面などは何もないよりも遥かに早く打ち解ける。
何回か授業を重ねるうちに、少しは話しやすい女子ができると「ずっと壁打ちしてるしヤバい人だとおもったけど、全然そんなことなかったね」と笑われた。
軽く苛立ちつつも心のどこかで安心する。
しかし、そのすぐ後に「もしかしてゲイなの?」と聞かれたので慌てて否定すると、ピアスを右耳だけに着けると同性愛者の意味合いがあるのだと教えられた。
やはり、慣れないことなどするものではない。
急いでイヤリングを左耳へと着け替えると「しかもイヤリングだったのかよー」と笑われ背中を叩かれた。
〝最早これまで〟と、クールなキャラクターを演じる為にした努力をおどけながら白状すると、女子と一気に心が近づいた感覚があった。
何かを掴んだと感じた僕は、この後、何度もこの時の感覚を思い出すようになる。
イヤリングはすぐに無くした。〈②へ続く〉
バレンタインデーはもう過ぎた
その昔、一度だけ本命のチョコレートを貰ったことがある。
小学校時代のことだ。
朝、学校に来てみると机の上に半透明のビニール袋に包まれた何かが置かれていた。
大きさは手の平サイズで、中には黒っぽい何かが入っている。
少し頭を働かせればその中身を推測できたはずだが、あいにく僕はまだ寝ぼけていたため、〝誰かがイタズラで置いた犬の糞〟と勘違いして、「誰だよこんなことしたの!!」と言って机の上から叩き落とした。
即座に女子たちの怒号が鳴り響いたことから、すぐに自分が何か大きな過ちを犯したことに気づく。落としたばかりの何かを急いで確認すると、犬の糞に見えた何かはどうやら手作りのチョコレートのようであった。
〝もっときちんと包装してくれたら間違えなかった〟と憤慨しつつ、誰かのイタズラで犬の糞かと勘違いしたのだと必死に主張したものの、僕はいつの間にか怒れる女子たちに腕を掴まれ、誰もいない理科室まで連行された。
僕を取り囲み糾弾する女子たち。その勢いに押されて尻もちをつくと、何度か蹴られた気もする。その場ではとにかく僕にチョコレートを贈った女の子への謝罪を求められた。
謝罪を終えた後、その子(※以下:千代子)からの手紙を受けて、放課後に改めて告白されたと思う。このあたりの記憶は曖昧だ。ただ、僕には好きな子がいたうえに、千代子は好みでは無かったのできちんと断ったはずだ。
そして、次の日から、僕は好きな子に千代子との仲を勘違いされることを恐れて、千代子に対してだけ〝イヤな奴〟を演じた。千代子から完全に嫌われてしまえば勘違いされようがないと思ったのだ。
結論から言えば、きちんと嫌われた。
ある日の授業中、隣の席に座る千代子から「○○ってこんなに嫌な人だったんだね」と溜め息をつくように言われた時、達成感よりも罪悪感の方が上回ったことを今でもよく覚えている。
大学生になった僕はすぐにSNSを始めた。
その頃はSNSが世の中に浸透してきたばかりで〝時代に乗り遅れてはいけない〟という気持ちが強くあったように思う。
ひとしきり大学の知り合いと繋がった後、ふと小学校時代の人たちを検索してみたくなった。
僕は地元の中学には進学しなかったこともあり、小学校時代の人たちの今をよく把握していなかったのだ。
覚えている人から人へのリンクを十は繰り返した頃、千代子のページが出てきた。
このSNSは自分が設定した写真を拡大してトップページの冒頭に貼り付けることができる。
千代子のトップページに貼ってあったのは、料理人の格好をした千代子とその仲間と思われる国際色豊かな人たち。彼女はカメラ目線でピースサインをしている。
もしやと思って経歴を見てみると彼女はお菓子作りの専門学校に通っているようだった。
手前勝手な思い込みであるとは重々承知している。
それでも、もし、小学校時代に自分が作ったチョコレートを犬の糞と間違えられて目の前で捨てられたことが、少なからずその後の彼女の人生に影響を与えていたとしたら、と想像すると胸がざわついた。
そして小学生の頃よりも垢抜けている彼女に対して「惜しいことをしたかも」と考えている自分に気づくと、〝本当に嫌な奴になってしまったかもしれない〟と落ち込んだ。
そして今、久しぶりにそのことを思い出した僕は、千代子をSNSで検索したところ、彼女のページは数年前から更新が止まっているようだった。
トップページの冒頭は誕生ケーキの写真へと変わっていたものの、アイコンは僕が大学生の時に見たトップページを縮小したもの。
無いとわかると欲しくなるように、今がわからないと途端に懐かしくなるのかもしれない。
千代子は今でも菓子職人の道を進んでいるのか。もう結婚はしたのだろうか。
アイコンの彼女をじっと見つめても、ただただピースサインを返すばかりだ。
何にせよ、〝懐かしい〟という気持ちと優しい気持ちは近いらしい。
どんな道を進んでいようとも、彼女の未来に多くの幸せがあるといいなと自然に思うことができた。
バレンタイデーが過ぎたある日のこと。
届いた記録
〔2009年07月21日
ここに一枚のメモがあります。
これは今までの人生の中で起きた最良の日を、<生後何日>換算で書き留めたもの。
つまり、
生後5855日。
(間:273日)
生後6128日。
(間:118日)
生後6246日。
(間:255日)
生後6501日。
そうして、間の日ニチから、スパン的にあとどのくらいで次の最良の日がやってくるのかを推定するというワケ。
今日は僕が生まれてから6773日目。一週間は966回はやってきて、月に直すと生後220ヶ月。4月4日で生後6666日だったのに惜しいことをしました。
意識、人格は3年スパンで変化していくと聞きますが、もし、3年前の自分に会ったとしたらあなたはその自分と理解しあえる自信はあるでしょうか?
僕が高校を卒業してから144日が経過しました。十年、二十年後の同窓会で誰々が死んだと最初に報じられるのは実は僕ではないかと思っています。
それはさておき、僕らが見ている、月や太陽が他の星たちと同様に過去の姿であることは知っているかな?
正確には、今僕らが見ている月の姿は「今」の月ではなく、約1秒前の月の姿なんだ。
同じように太陽は8分前、北極星に至っては400年前の姿だ。
要するに、太陽が「今」この瞬間、異星人に消されてしまっていたとしても、空が暗くなるのは8分後という訳だね。のん気なもんだ。
こんな不謹慎なことを僕が言ってしまったせいで明日の太陽は昇ってこないかもしれないよ?アハハハハヽ(゜▽、゜)ノ
そうじゃなくても、朝を迎えるたんびに、
「今日という日は残された日々の最初の一日。」
って考えるのがいいかもしれないね。
でもまぁ、100年経てば、自分も、今目の前に映る全ての人間も消えている。もう僕らの知っている世界は何一つ残っていないだろう。
だけどこう考えるのはどうかな?
僕らのこの「時」は誰かが「記録」してくれているんだ。
僕らが過ごした日常も病める時も健やかなる時も地球も、時が経って全てが灰になってしまっても、僕らの地球の「残像」は、北極星のように、この銀河を越え、夏の大三角形の間を抜けて、何万年、何百万年もの時をかけてどこかの惑星の夜空に映るんだ。
きっとそこには僕らよかよっぽど、おつむがマシな宇宙人が高性能の望遠鏡を持って、滅んじまった「地球」を覗いている。 きっと、性能がヤバいから僕らのアホ面までばっちし映ってる。
まぁつまり、僕が言いたいことはね。
100万年後かの宇宙人に大笑いされるような楽しい生を!
ってこと。
ある人の言葉に「私が神であったなら青春を人生の終わりに置くだろう」ってあったから、若いうちに死ねるのは幸せなことかもしれないね。
でも、80まで生きるにしたって約7000/29200は過ぎちまったんだ。
生き抜こうよ。 この一大叙事詩を!コメディを!アクションを!ボーイミーツガールを!ミステリーを!
悲劇だろうがなんだろうが、誰かさんを感動さしてやろう。
喰らえエンターテインメントォォォォォッ(オーケンの声再生)〕
〔2020年02月08日
どうしても初期衝動を取り戻したくて過去の日記を読み漁った結果、見つけた日記がこれだった.
この日記は、今から11年前、僕がまだ小説家志望だった時にmixiに投稿したものだ。
今読み返してみると、拙いし青臭いしで何だか色々痒くなってくる。
そもそも日数の計算自体も間違っていた(2009.7.21は生後6704日目.生後6773日目は2009.9.28)
それでも、やっぱり君(僕)は人生に対して心の底からワクワクしていたみたいだ。
おかげで大事なものを思い出せた気がする。
君(僕)の想いは宇宙人に届いたのかはわからないが、未来の僕(君)にはしっかりと届いているぞ。
ありがとう。今一度!!