②モノローグ
気づくと僕は世界の全てを記述していた。
と言うと大袈裟だが、ある時から僕はあらゆる出来事を「小説的なモノローグ」として脳内変換できるようになっていた。
これは、本をたくさん読むことで脳内で自然と小説的なモノローグが流れると気づいてから、あらゆる出来事をモノローグ化し続けたことによる努力の賜物である。
小説家志望として文芸学科に入ってきた僕はこの「能力」が小説家への強い決意の現われのようで誇らしかったし、何が起きても感情の前に〝モノローグ〟できる自信があった。
これにはある悲しい理由も関わってくるのだが、今回はその話はやめておく。
とにかく世界の全てが、僕の小説への糧となっていた。
大学に入学してからの日々は、全力で打ち込むほどに目まぐるしく過ぎ去っていく。
気づけば、文化祭実行委員会に入り、気づけば、バンドサークルの先輩に一目惚れし、気づけば、その先輩と同じバンドでボーカル&パフォーマーとして狂気と勢いを武器に暴れまくる毎日だった。
そんな日常の果てに、気づくと僕はバンドサークルの夏合宿に来ていて、ロビーのソファで夢うつつとなっていた。
ロビーではリラクゼーション用BGMが流れ、ソファの下からは地下スタジオのギターとドラムが漏れ聞こえてくる。
うるさい、眠れやしない、それにこれではせっかくのBGMが台無しだ。
その時感じた衝撃を僕以外の誰に伝わるだろうか。
〝静かすぎる〟
僕の脳内で半ば自動変換されていたモノローグがぱったりと止んでしまっていた。
考えてみれば当然である。毎日が新しい体験、新しい感情。
頭でっかちなモノローグはいつしか飽和状態となっていたのだ。
そして、僕はその事にも気づけないでいた。
僕は現実に、いや自分の心に深い敗北感を覚えた。
同時に、その敗北感を心地よいと思っている自分を見つけた。
僕は今、青春を生きている。
心でみみっちいモノローグなどしている場合ではない。
今を生きて今を味わうべきなのだ。
小説家を決意した時を思い出す。
物語的に生きるのか、物語を書いて生きるのか。
その問いに今の僕はどう答える?
「誰もが役者、人生は舞台なのだ」という耳慣れた言葉が、僕の心をゆっくりと流れ過ぎていった。〈③へ続く〉
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