バレンタインデーはもう過ぎた
その昔、一度だけ本命のチョコレートを貰ったことがある。
小学校時代のことだ。
朝、学校に来てみると机の上に半透明のビニール袋に包まれた何かが置かれていた。
大きさは手の平サイズで、中には黒っぽい何かが入っている。
少し頭を働かせればその中身を推測できたはずだが、あいにく僕はまだ寝ぼけていたため、〝誰かがイタズラで置いた犬の糞〟と勘違いして、「誰だよこんなことしたの!!」と言って机の上から叩き落とした。
即座に女子たちの怒号が鳴り響いたことから、すぐに自分が何か大きな過ちを犯したことに気づく。落としたばかりの何かを急いで確認すると、犬の糞に見えた何かはどうやら手作りのチョコレートのようであった。
〝もっときちんと包装してくれたら間違えなかった〟と憤慨しつつ、誰かのイタズラで犬の糞かと勘違いしたのだと必死に主張したものの、僕はいつの間にか怒れる女子たちに腕を掴まれ、誰もいない理科室まで連行された。
僕を取り囲み糾弾する女子たち。その勢いに押されて尻もちをつくと、何度か蹴られた気もする。その場ではとにかく僕にチョコレートを贈った女の子への謝罪を求められた。
謝罪を終えた後、その子(※以下:千代子)からの手紙を受けて、放課後に改めて告白されたと思う。このあたりの記憶は曖昧だ。ただ、僕には好きな子がいたうえに、千代子は好みでは無かったのできちんと断ったはずだ。
そして、次の日から、僕は好きな子に千代子との仲を勘違いされることを恐れて、千代子に対してだけ〝イヤな奴〟を演じた。千代子から完全に嫌われてしまえば勘違いされようがないと思ったのだ。
結論から言えば、きちんと嫌われた。
ある日の授業中、隣の席に座る千代子から「○○ってこんなに嫌な人だったんだね」と溜め息をつくように言われた時、達成感よりも罪悪感の方が上回ったことを今でもよく覚えている。
大学生になった僕はすぐにSNSを始めた。
その頃はSNSが世の中に浸透してきたばかりで〝時代に乗り遅れてはいけない〟という気持ちが強くあったように思う。
ひとしきり大学の知り合いと繋がった後、ふと小学校時代の人たちを検索してみたくなった。
僕は地元の中学には進学しなかったこともあり、小学校時代の人たちの今をよく把握していなかったのだ。
覚えている人から人へのリンクを十は繰り返した頃、千代子のページが出てきた。
このSNSは自分が設定した写真を拡大してトップページの冒頭に貼り付けることができる。
千代子のトップページに貼ってあったのは、料理人の格好をした千代子とその仲間と思われる国際色豊かな人たち。彼女はカメラ目線でピースサインをしている。
もしやと思って経歴を見てみると彼女はお菓子作りの専門学校に通っているようだった。
手前勝手な思い込みであるとは重々承知している。
それでも、もし、小学校時代に自分が作ったチョコレートを犬の糞と間違えられて目の前で捨てられたことが、少なからずその後の彼女の人生に影響を与えていたとしたら、と想像すると胸がざわついた。
そして小学生の頃よりも垢抜けている彼女に対して「惜しいことをしたかも」と考えている自分に気づくと、〝本当に嫌な奴になってしまったかもしれない〟と落ち込んだ。
そして今、久しぶりにそのことを思い出した僕は、千代子をSNSで検索したところ、彼女のページは数年前から更新が止まっているようだった。
トップページの冒頭は誕生ケーキの写真へと変わっていたものの、アイコンは僕が大学生の時に見たトップページを縮小したもの。
無いとわかると欲しくなるように、今がわからないと途端に懐かしくなるのかもしれない。
千代子は今でも菓子職人の道を進んでいるのか。もう結婚はしたのだろうか。
アイコンの彼女をじっと見つめても、ただただピースサインを返すばかりだ。
何にせよ、〝懐かしい〟という気持ちと優しい気持ちは近いらしい。
どんな道を進んでいようとも、彼女の未来に多くの幸せがあるといいなと自然に思うことができた。
バレンタイデーが過ぎたある日のこと。